疱瘡の流行や鴨川の氾濫で世が乱れてるときに一条天皇が定子のところに入り浸って政務を行わず、道長が世のために泣く泣く彰子を中宮にしてお清めすることにした(それも安倍晴明の進言で)とかいう話にしたらしいけど。
実際にはそのころの道長は腰痛で何ヶ月も出仕してなくて、マジで何もしてない。ぜんぶ一条天皇が自分で対処したのよ。
道長をいい人に書きたいのは結構やけど、歴史の行間を読んで膨らませるんじゃなく事実と真逆にするってのは、控えめに言ってもうまい脚本とは言えんやろ
疱瘡の流行や鴨川の氾濫で世が乱れてるときに一条天皇が定子のところに入り浸って政務を行わず、道長が世のために泣く泣く彰子を中宮にしてお清めすることにした(それも安倍晴明の進言で)とかいう話にしたらしいけど。
実際にはそのころの道長は腰痛で何ヶ月も出仕してなくて、マジで何もしてない。ぜんぶ一条天皇が自分で対処したのよ。
道長をいい人に書きたいのは結構やけど、歴史の行間を読んで膨らませるんじゃなく事実と真逆にするってのは、控えめに言ってもうまい脚本とは言えんやろ
「光る君へ」、道長をよく描くために、伊周がやった飢饉対策、一条天皇の鴨川氾濫への対応(記録に残ってる事実)を道長の功績にして、逆に伊周や一条天皇が悪行を働いたことにしてるんよね。
倉本一宏氏は上のインタビューで『史実がどうだったか分からない部分を創作するのは自由ですが、史実が分かっているにもかかわらず、それに反した描き方をするというのは良くない』と言ってるから、史実を捻じ曲げる大石静には不満でしょうそりゃ
時代考証の倉本一宏氏、「光る君へ」への不満を語ってる
https://www.todaishimbun.org/drkuramoto_20231228/
『あまりにも史実に反しているストーリーはやめてほしいと考証会議で言っているのですが、受け入れてもらえない場合のほうが多いので、一応言うだけ言ってはおくという立場を取っています。』
(紫式部と道長の設定について)『NHKが制作発表の段階で発表してしまったため変えられないので妥協することにしましたが、実際には、2人が幼なじみだったということも恋仲だったということもあり得ません。』
Twitterでも昨日ご自分のこと昔に比べて性格が丸くなって「変な脚本も黙認するくらいになっています」つってたしな……
そんな奴相手でも、清少納言たち女房が悪口言うのをたしなめてた中宮定子はマジでいい人やと思う、人格者すぎる
大石静、源氏物語の批判精神を理解してくれたのは結構やけど、枕草子を不当に貶すし、ほんま無神経。こういう人に平安文学を扱ってほしくなかった。
https://steranet.jp/articles/-/2641
『清少納言の『枕草子』は、センスのいい言葉で、ちょっとした季節の風景や朝廷であった面白いことをお茶目に書いていて、ステキだとは思うけどそれだけなんです。そこに自分の人生観をにじませたり、政権を批判したりするようなことはやっていない。あくまで、自分が仕えている中宮・定子を褒め称えるために書いているし、自分の教養をチラ見せするような自慢話も多い。』
いや、何様?
そもそもさー、「枕草子は自慢話ばっか」って言う人よくいるけどさ、そんなことないよね。
ほとんどが、公達(男の貴族)が「あの賢いと噂の清少納言がどんな返ししてくるか試してやろうぜ」って恋文その他の試し行為してきて、それに対してうまく返せた、良かった、ってエピソードやん。もしくは「香炉峰の雪は簾をかかげて見る」みたいな、中宮定子と文学オタクどうしきゃっきゃしてる話。これを自慢話と言いますか?不当だと思うよ私は。
定子が不遇になってから清少納言が枕草子を描き始めたこと一応知ってるわけでしょ、脚本にそう書いてたんやから。それ知っててよく「定子の自慢と自分の自慢ばっかり」みたいなこと言えるよね。
枕草子の最初の方に、定子が出産のために身を寄せた邸の主人(平生昌)が清少納言に言い寄ってきたのをけんもほろろにはねつけてバカにする、平生昌が兄の自慢話するのもこき下ろす、って段がある。
それを「おっさんに言い寄られたのを馬鹿にしてイヤな女だ」って言う人も複数回見たことある。
けどさ。これ、背景事情があるんよ。
この平生昌は、流罪になってた定子の兄伊周が京都にこっそり帰郷してたのを密告した奴なの。さらに平生昌の自慢の兄ってのは、中宮職の長官やったのに道長に睨まれたくないからって仮病使って辞任した人なんよ。
定子は出産に際して身を寄せる先がなくて、そんな男の家しか行くとこがなかったんよ。清少納言は身分低いおっさんやから馬鹿にしたんじゃなくて、この平生昌が大嫌いだっただけなの。
本文には書いてないけど、たいていの枕草子現代語訳で注釈に書いてあるよ、この背景事情。それ読みとばした人が表面的なやり取りだけ見て清少納言を「若い傲慢な女がおっさんを馬鹿にした」みたいに思うの、全然違うから。
ていうか大河の話回ってくるまで源氏物語読んだこともなかったような人を脚本に抜擢しないでよNHK。他にもっといい人いたと思うよ、男性不信の塊みたいな紫式部をよりによって道長と恋愛させるような脚本家より。
BT
朝日新聞の記事私も読んだ。源氏物語のことをハーレクインロマンスだと思ってたけど違うとわかった、『紫式部から見た男性批判、男性中心の身分社会への批判だと私は読みました』
そう思ったならなんで超権力者の道長を通説に反してまでいい人間に描いて紫式部と恋愛させたりすんの…………。
親戚を全員追い落として権力握った男が善人なわけないでしょうが
紫式部は酔って口説くような文送ってきた道長に部屋の扉ドンドン叩かれて怖かったって日記に書いてるし、道長に惚れるわけないでしょうが
『道長は年を重ねて多少は強引になりますし、敵に回せば怖い存在かもしれませんが、闇落ちはしません。』
余計悪いわ。素敵なヒロインの相手役にするために権力者としての醜さをなかったことにするわけね。それこそハーレクインロマンスみたいに。
なんで紫式部でハーレクインロマンスをやろうとすんの?源氏物語はハーレクインロマンスじゃないとわかったとか言いながら。
恋物語に持っていくのも、権力者の道長を免罪して道長に追い落とされた敵側を悪く描くのも、古いんだよ
ナボコフがサバイバーやった話、ほんまに初めて知った……かなりしんどいな
ナボコフは、「ロリータ」の表紙にドロレスを描くなと言ってたらしいね、ポルノ的に利用されないためやったんかな
それを知るとなおさら許せんよ、「ロリータ」をポルノだとかラブストーリーだとか言う連中
ジャック・ケッチャム「隣の家の少女」は「傍観は加担であり罪である」ってことを強烈に突きつけてくる小説やからすごいんよね。少女が里親に入った家でひたすら虐待される様が延々と描かれてる話やから人にはおすすめしないし自分も二度と読み返したくないけど。名作ではあるよ。
傍観者である語り手の心理描写が生々しくて、残酷ポルノとして消費できないようになってる……と私は思った。他人事の残酷物語としてではなく、お前はこの語り手とどう違うんだって突きつけられる感じ。読んで1週間くらいずっと吐きそうな気持ちが続いた。
なにがフェミニストだ。キャンセルされろよ今度こそ。
ナボコフ「ロリータ」、虐待者ハンバートの一人称による自己正当化を延々読まされる物語やけど、ドロレス(ロリータ)がいかにハンバートを嫌い抜いていたか、ハンバートのやったことがどれだけおぞましいことか分かるように仄めかしまくってるやろ。ドロレス自身に言わせてるやん、あなたはあたしの人生をめちゃくちゃにしたって。読解力ゼロか?
北村紗衣氏「批評の教室」の
『よく、「作品に間違った解釈はない」という人がいます。これは間違いです。作品に正しい解釈はありませんが、間違った解釈というものはあります。』
って文章を思い出したわ。
『あるフィクションがフィクション内事実として提示しているものを誤認したり、展開をきちんと理解していなかったりすることに起因する間違った解釈というものは存在します。』
まさにそれやろ、JKRの、ロリータがポルノになりかねなかったって言うのも、悲劇的なラブストーリーやって言うのも。
桜庭一樹の「ロリータ」の書評と比べてJKRの読解力のなさ、薄っぺらさよ。
https://book.asahi.com/article/12219160
『ロリータという言葉が背負うイメージや、映画の鮮烈なビジュアルから、わたしは“大人びた色気を放つ少女が中年男性を誘惑する寓話(ぐうわ)”とばかり思っていた。初読の時、ぜんぜんちがって腰を抜かした記憶がある。』
『生身のドロレスは、ごく普通の子供だ。ハンバートも内心気づいているのに、夢を見続けたいから目を背ける描写が繰り返される。』
JKRのナボコフ「ロリータ」についての発言、絶句。2000年のBBCラジオ4でのインタビュー発言なのでめっちゃ昔ではあるけど、「最も価値のないポルノになりかねない筋書きが、ナバコフの手にかかると、素晴らしい悲劇的なラブストーリーになる」?ありえん。
https://x.com/soozuk/status/1806735717118177703?s=46
https://storytree.in/all-posts/f/jk-rowling-the-literary-influences
12才の子が義父に虐待される話はポルノにも悲劇的なラブストーリーにもなりえんやろ、読解的にも倫理的にも擁護の余地がない
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