一部の陰謀論勃興の瞬間を見て思うのは、「扇動する側は、もしかして前例をすでに熟知したうえで戦略的にやっている面もある」ということである。
往年の「大衆は小さな嘘より大きな嘘であるほど騙されやすい」という指摘は、現代においてまさかとしか思わなかったものだが、その指摘にのっとって誰が信じるのかという嘘を言ったりしている。
直近の英語圏における陰謀論にて「社会の裏を操る存在がいる」というものもあったが、どうも今、日本語で扇動している人はこのあたりの前例を知ったうえでわざとやっているように見える。もう金とかいろいろなコストがかかっているからな。