しかし、オタク(特に男オタク)の「好きなコンテンツ全肯定」って心情が本当によくわからない。自分は「こち亀」が大好きだけど今の基準で言えば完全にアウトという回は当たり前にあるし、そういった回は絶対に他人には薦めない。もちろんそういった回が批判されたとしても「当然のこと」として受け止めるし、ましてや批判した相手を侮辱しようとは思わない。とにかくあの感覚がよく分からない。
Notices by うどん屋の側の住人(みのお) (udonya_no_soba@minohdon.jp)
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うどん屋の側の住人(みのお) (udonya_no_soba@minohdon.jp)'s status on Sunday, 12-Feb-2023 20:24:33 JST うどん屋の側の住人(みのお) -
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うどん屋の側の住人(みのお) (udonya_no_soba@minohdon.jp)'s status on Saturday, 04-Feb-2023 20:25:43 JST うどん屋の側の住人(みのお) アニメ「赤毛のアン」の魅力は「時の流れの残酷さ」をしっかり描いている点だと思う。37話「十五歳の春」と41話「クィーン学院への旅立ち」でマリラが成長したアンの姿を見て、昔の小さかったおしゃべりな可愛いアンはもういないことを実感し涙を流すシーンはまさに「時の流れの残酷さ」を表している。
さらに36話「物語クラブのゆくえ」では、アンとダイアナが子どもの頃に遊んだアイドルワイルドの白樺が全て切られていたり、ダイアナと進学組との間で物語クラブに対する思いにズレがでてきて解散になってしまったりと、「流れる時の中で昔のままではいられない」という残酷さをしっかりと描いている。
だが、残酷な時の流れも全てを変えてしまうわけではない。どんなに時が流れても芯の部分は変わらない。そう教えてくれるのが41話「クィーン学院への旅立ち」で朗読を披露し終えたアンがマリラに言うセリフである。何と言ったのかは実際に41話を観てもらうとして、あれが「赤毛のアン」の最高のシーン。
他にもスタッフが超豪華など見どころ盛りだくさんのアニメ「赤毛のアン」。未見の方は是非ご覧ください。