たとえば「明治」とか「昭和」とか言ったときに、そもそも現在とは社会構造が違うとか、だからそこに生きてる人の感覚も違うとか、その辺りの想像力もかなり危うい。「考えてもわからない」というより、「そういうことを考えようとしない、想像しようとしない」感じ。
総じて、「わからないことをわかりたい」という意欲に乏しい感じ。「わかったら何か得なことあるの?」みたいな。そうは言わないけど、そういう姿勢が体に染み付いてる。その一方で、マーケティングには簡単にのせられる。ある意味、ものすごくわかりやすい。
私が大学生の時にも、そういう奴はいたし、今の大学生でも、十分に知的好奇心の強い子はいる。ただ、そういうコスパ度外視の知的意欲への社会的評価は変わったように見える。「無駄」と考える人が増えたのかな。感覚的にそう思うだけだけど。