政党の命は綱領だ。その党の公式の原則。代表が変わるたびにコロコロ軸がブレてたら支持しようにもできない。泉以降、立憲民主党は立憲主義でもなんでもない。野田に至っては完全に極右。極右に乗っ取られただけでなく、「乗っ取られた」と認識すらできない支持者は何を見ているのか(それで「政治学者」だとか、笑うしかない)。
この点について言えば、れいわにも問題は多い。ここは山本太郎個人のカリスマ性から出発してるから、より民主的であろうとしてる面はあるかもだけど、代表選の参加基準が緩かった。「議員一人の推薦があれば部外者でも立候補できる」ってルールにも驚いたが、実際に立候補した部外者がいたのにも驚いた。推薦したのは舩後氏だったが、流石に無責任だと思う。「ルールがそうだからいいよね」で済む話ではない。
議論を積み重ねていく仕組みと、投票などでその都度とりあえず決めなければならないことを決める仕組み。本質は前者で、後者は必然的かつ現実的な妥協。そのバランスが大事で、しかも、そのバランスはその都度変わる上に、全体として共有しながら対応せねばならないから簡単ではない。