どうも国民民主党首の玉木が、「社会保障抑制のため」という文脈で「尊厳死の法制化」に言及したようだ。
確かに尊厳死の問題は複雑で世界中に議論されている。しかし、この議論の大前提は「社会保障削減・抑制」と絶対に切り離すこと。
玉木は釈明で「あくまで自己決定権の問題」と言い抜けしようとしているが、これはどうみても先に「社会保障抑制が先にありき」の議論である。基本、麻生太郎と同じ発想。
そう言えば中曽根は首相の時に「枯れ木に水をやっても仕方がない」と社会保障費抑制の意図を露わにしたことがある。
玉木にしても、つい先日も「国民に覚悟を求める時が来た」などと訳の分からぬことを口走っていたが、これは「姥捨て山に向き合う「覚悟」を求める」つもりだったらしい。
高齢者集団自決提言の成田悠輔といい、「終末期医療の早期打ち切り」提言する古市といい、どうも支配エリートの本音が隠しきれていない。というより、鉄砲玉に観測気球を挙げさせて様子をしているのだろう。
しかし、反核平和運動を公然と敵視し、社会保障費抑制のために自己決定による「姥捨て山」を提言する政党と合流しようとする立憲の気が知れない。
予算がそんなに心配ならまず軍事費を削減し、資産課税、法人税増税をすればいいだけの話である。