安倍晋三が統一教会への支持を隠しもしなかったこと、それが広くは問題化されなかったこと、統一教会や日本会議などの特定政治集団の意向が制度として実現していること、そうしたことが明らかになってもなお、大勢が変わらないこと。そのことに驚愕して「宗教右派の」「カルトの」と言ってきたけど、そう指さしたからと言って、そこを切り取ってのけられるわけではない。支配されることを善きこととして認識し、支配されながらその仕組みの維持に努めることを自分の務めと言い、その務めをもって天命と語る、その強固に伝統化している思考の枠組みの前で、じゃ、自分はどうしていたかと考えると、無力にも絶句してしまい、絶句してる間に家族を朝起会に取られ、友人を統一教会に奪われてきた。