ざっと、国会図書館サーチや神戸大学新聞文庫、読売新聞の過去記事などを検索したのですが、中山が元ネタにした記事は見つかりません。しかし実際に1940年に地下鉄はソウルに「できていない」のですから、これは単に将来の夢として「京城にも地下鉄を造ろう!」というだけの記事でしょう。
傍証として、当時は満洲国の首都・新京に地下鉄を建設する構想はあったといいます。なんでも大阪地下鉄の影響があったんだったけな……ちょっと今うろ覚えなのですが、これは確か三木理史先生の『近・現代交通史調査ハンドブック』のコラムで読んだんだったっけな。
だから恐ろしいことに、例え旧漢字旧仮名とはいえ、日本語で書かれた新聞記事を中山は読んでも理解していないか、書いてある内容と全く相違した(地下鉄を造ろう→地下鉄ができました)ことを平気で国会答弁しているのです。このような人物と言語コミュニケーションを取ることは可能でしょうか。