→バッドマンは、主役が大富豪。で、かつ、衣装がコウモリで真っ黒。一件、ベビーフェイスに見えない。ねじってる。スーパーマンが単純で真っ直ぐな勧善懲悪にしているところを、ひねりを加えてフレッシュにしている。
さらに、主役バッドマンだけでなく、ヴィランにもひねりを加えている。ヴィランは、大抵、持たざる者。何らかの理不尽の被害の闇を背負っているもの。加害性を掘っていくと、かつての被害性に辿り着く、というのは、近年の議論でよく見受けるものだけど、ある種バッドマンは、それを先取りしてる作りがある。
バッドマン・ブルースウェインが大富豪で。ムカつく金持ち野郎とも見えなくはない。ヴィランとの対決は、非常にねじれて見える。勧善懲悪で終わらない面白さがある。バッドマンの対抗暴力もヴィランの暴力も、双方にある種のカタルシスをもたらしている。
ヒーローものって、子どもの全能感の延長線上にあって。凄い力があったら…という夢。ロマン。その大いなる力を通じて誰かを救う。尊敬されたり、承認されたり、愛されたり。そうしたロマンが、ヒーローものにはある。→