『ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋』、最終8話も先日観終えていたのだが、どう解釈していいのかわからず、いまだに困惑は続いている。が、これはものすごくジェンダー批評的な作品ではないか。4話と8話は明らかに対になっている。クトゥルフを題材とする他の作品とは、この2つだけ異質なテイスト。大雑把に言うと、どちらも「心を病んで狂気に陥ったオタク的専門性をもつフェミニスト女性=妻」と「その妻を必死にケアし、肯定し、寄りそおうとする無限に優しい夫」の夫婦の物語であるのだが、一方では「妻に対して優しく無限にケア的であろうとする夫ですら、女性=妻の真実の苦痛は絶対に理解しえない」というフェミニズム的な女の自由を追求した物語であるようにもみえるし、他方では「フェミニスト女性=オタク女性=心を病んだ女性は、男=夫がどんなに献身し、ケアしても、男=夫をひたすら否定し、罵倒し、男を非難し続ける怪物的で自分勝手な存在である」というような物語にも見える。特に8話は、いっけん感動的な物語に見えるが(ネットでの感想の多くはそのようなもの)、4話を重ねると、本当に邪悪で自己欺瞞的な女性の物語にも思えてくる。→