私は小さい頃スイミングに通っていた。たぶん小学校入学前くらいの年齢だったと思う。毎回悲しげにしくしく泣いて、プールの端っこでスタッフの誰かに宥められていた。水が怖かった記憶は無い。ただあのだだっ広い空間にあんな頼りない姿で、放り出されんばかりの状況が恐怖だったのではないだろうか。今は推測するばかりだけど。
ただおかしなことに、このスイミング、保護者に強制されたわけではないのである。親はきっと「こんなに泣くならやめていいのに」と不思議に思っていただろう。言われたかもしれない。
毎回泣きながらもどうして通い続けたのかというとそれはよく覚えていて、教室が終わると必ず「よいこのえほん」みたいなシリーズを売店で買ってもらえたからだ。シンデレラとか、さるかにがっせんとか、今調べても500円以下だから、昔はもっと安かったかもしれない。しかし幼い私にとっては垂涎の代物だった。直前までほっぺを濡らして世の終わりのような様相だったのに(私は静かに泣く子供だった)、まだ持っていない作品を見つけ出そうと銀色のラックをくるくる回す瞬間にはもうプールのことなど頭から吹きとんでいた。お会計が終わった本を抱える頃にはページを開きたくてうずうずして、ああ、その顔はおそらくピカピカに輝いていただろう。自分で見たことはないけれど。
考えてみたら本をご褒美にスイミングに通っているようでいて、親もそのつもりだったのだろうが、べつに誰にも強いられていないのだからご褒美も何もない。なかなかの策士ともいえる。ただ私はプールに臨むたびに本気で怯えていた。本のために恐怖に耐えていたのだ。幼児にしてはすさまじい決意である。
そして学校の図書室の存在を知り、好きなときに好きな本を選べるようになると、私はスイミングを辞めた。やはり単にふてぶてしいだけだったのかもしれない。