https://x.com/kambara7/status/1856616329568211348
呉座勇一さんが、日本歴史学協会による声明を名誉毀損だと訴えた訴訟、一審で原告が敗訴してましたが、二審も同様の結果に終わったとのことです。無理からぬことと思います。お互いに無駄な手間をかけただけに終わりました。これ以上の愚行はやめてほしいと痛切に思います。
https://x.com/kambara7/status/1856616329568211348
呉座勇一さんが、日本歴史学協会による声明を名誉毀損だと訴えた訴訟、一審で原告が敗訴してましたが、二審も同様の結果に終わったとのことです。無理からぬことと思います。お互いに無駄な手間をかけただけに終わりました。これ以上の愚行はやめてほしいと痛切に思います。
なるほど「界隈」「クラスタ」は、ネット上では自分たちに有利なイメージを一定瀰漫させることに成功しました。しかしそれはSNS上の陣取り合戦で、実際の社会や生活にはほとんど影響を与えない空間での勝利という、本質的に空しいものでしかありません。学問はネット上で行われるものではありません。
しかし、ネットの「空気」を現実社会に持ち出したら認められず裁判で負けるという事態を、ネットの「界隈」「クラスタ」は決して認めようとしません。呉座さんに端を発した一連の事態で、敗訴を受け入れず、裁判官を攻撃する連中が現れる始末です。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241003/1727967546
私が深刻な問題ととりわけ思っているのは、このようなネットの「空気」に泥んで歪んだ理解(敗訴するような)をしてしまい、日歴協やオープンレターを攻撃する徒輩に、研究者の姿も見られたことです。テクストをまともに読めない人は、とうてい研究者になれないはずなのに。ネットは人を狂わせます。
さて、このような研究者がネット上で他人を誹謗中傷して問題になった事件、というと、国際政治学者としてウクライナ戦争で一躍知名度を上げた東野篤子氏が、英語学者の羽藤由美氏を誹謗中傷した件がしばらく前に公となりました。同じようなことが他でも起こっているのです。
詳細は羽藤先生の声涙共に下るブログの記事をお読みいただきたいのですが、東野氏による羽藤氏への誹謗中傷には、国際政治の専門家を含むネットの数多の徒輩が便乗しています。羽藤氏はこれを筑波大学のコンプライアンス窓口に通報し、ことは大きくなりますが、筑波大の対応はおざなりでした。
この間、東野氏とツイッター上で親しかった国際政治学を中心とした研究者は、すべてが羽藤氏叩きに加わったわけではないにしても、東野氏を諫めたり、この件を反省するという動きはなかったようです。反省も自浄作用もないネットの「界隈」「クラスタ」の問題もまた、普遍的なものなのです。
https://x.com/bokukoui/status/1795674900885283296
https://x.com/bokukoui/status/1795817037752938659
この件についての私の思いは、一審判決時に述べました。特に新たに論じることもありませんので、その時のツイートおよびその補足を再掲しておきます。
蛇足を承知で書いておけば、呉座さんの件の問題は、呉座さんのやったことは確かに悪いけれど、それがここまでことが大きくなったのは、呉座さんと共に悪いネット遊びに興じていた「クラスタ」「界隈」あってのことでした。同じように反省せねばならぬはずの彼らが、逆ギレして暴走したのです。
呉座さんに道を誤らせた責任のある「界隈」「クラスタ」が、呉座さんの誹謗中傷の被害者を、まるでそちらが加害者であるかのようにフレームアップする二次加害を加え、それに対抗措置を取ればさらにネットでスクラム組んで叩く。顛倒したネットの屁理屈に巻き込まれ、呉座さんは無為な訴訟をします。
なるほど「界隈」「クラスタ」は、ネット上では自分たちに有利なイメージを一定瀰漫させることに成功しました。しかしそれはSNS上の陣取り合戦で、実際の社会や生活にはほとんど影響を与えない空間での勝利という、本質的に空しいものでしかありません。学問はネット上で行われるものではありません。
手前味噌ながら、国際政治学界隈の沈黙に比すれば、呉座さんの一件に日歴協が声明を出した歴史学界は、まだマシだったのではないか……という気もします。それだけネットに呑まれた人が少なかった、ということかもしれませんが。問題を反省しようとする人が一定数おり、目に見える行動をしたのです。
問題は、ちゃんとした対応をした歴史学界の方がSNS上では叩かれ、沈黙してやり過ごしている国際政治学界隈の方がネット上では「うまくやった」ように見えることです。これほど顛倒したことはありません。しかしそれは、ネット空間そのものが論理の顛倒した世界であることを示していると言えます。
そんな論理の顛倒した空間での評判など、学問するのに何ら気に掛ける必要はありません。本や論文を読んでくれる人の評判を大事にすべきなのです。SNSにかまけた人は、140字の文章すらまともに読めなくなります。そんな連中に何を言われようと構わない、そういう割り切りが必要なのだと思います。
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