そもそもトランスの話をトイレやお風呂、プールの話に極限するのが不当であるというのを断ったうえで、そうした施設の使用に関して「一律の基準がある」という発想が私にはそもそも的外れに感じられます。
なかにはSRSを受けているけれど本人が不安だったりトラブルの可能性を感じたりして誰でもトイレしか使わないひともいるだろうし、なかにはSRSは受けていないけれど周りからむしろ外見に沿った利用を推奨されるひともいて、何が起きているかというと「この基準を満たしていたらこう、そうでないときはこう」みたいな基準に皆が従っているなどということではなく、個別のその場その場でそのトランス個人の事情とその施設の管理者とその他の利用者とが相互の明示的/暗黙的交渉のなかで、それぞれが相対的に納得できるところへ落とし所を探っていると思うのですよね。あくまで個々の状況における個別的な調整がなされているだけというか。
普遍的な一律のルールを仮定したうえでなされる主張も議論も、私には非現実的に見えます。