きのう『狂気の倫理』のイベントに参加していて、そこでの話を聞きつつそれから離れて思っていたことなのですが、私は狂気やら逸脱やらって、そうでないものから逃げ続けて、ずっと動き続けないとそうではいられないものという感覚があるかもしれないです。
それはたぶん、最初に、まだいまほどそれが一般的に知られていないころに性別違和を医師に打ち明けたらノイローゼと診断されて認知療法によって「治療」をされそうになったことだとか、そういう個人的な経験から生じている感覚なのだと思うけれど。なんというか、気を抜くと「逸脱」ではなくて「一時的な不具合が生じただけの正常」にすぐにされる感じがあります。
性別違和が当たり前に知られるようになったらなったで「心の性別と体の性別が違うだけで心は普通なのだから体を治療すればいい」みたいになっている気がして、「いや、私はあなたたちが『普通』と思っているそれの少なからぬ部分をたぶん共有していないのだ」(と私は思っているのですが)というのが、必死で言わないと消されてしまうというか。